PSW平成見聞録~序章~
2019.10.24
こんにちは!
毎回ブログのネタ探しが憂うつな古参の精神保健福祉士です。
今年、元号が「令和」に変わり、新しい時代を迎えました。
私が学生(昭和)の頃は、「福祉職」は一般的には障害者福祉(児童・障害者施設の指導員)のイメージが強く、国家資格もなく、PSW(精神科ソーシャルワーカー)という存在は全くと言っていいほど知られていませんでした。
それなのになぜこの職を選び、自分が今ここにあるのか…新しい時代に入り改めて考えると感慨深いものがあります。
なぜ「福祉」という進路を選んだのか…、今思うと昭和53年「24時間テレビ~愛は地球を救う~」が始まり、昭和54年国際児童年で連日のようにTVからゴダイゴの「ビューティフルネーム」が流れ、アフリカ飢餓難民を救うための「We Are The World」「LIVE AID」が世を賑わせ、純真無垢かつミーハーだった私は、メディアを通しての「チャリティー精神」に単純に感化されたのかもしれません。
将来の進路に迷っていた時期に「人のためになる仕事をしたい」という大義名分を見つけ、
当時少なかった福祉系大学に進学したのが始まりだったような気がします。
私が精神科病院のPSWとして就職した昭和63年は、精神科医療において「精神衛生法」から「精神保健法」への大改正を遂げた歴史的年でした。新卒で精神科病院や精神障害者がいかなるものかを全くと言っていいほど知らないまま現場に投げ込まれ…あれから31年。一言では語りつくせないほどいろいろありました。
平成時代は、「福祉」の激動期と言っても過言ではありません。介護保険、障害者基本法、成年後見制度、医療観察法等々、書ききれないほどの法制度が制定・改正され、「福祉」が医療・司法・教育・労働等々、様々な分野と協働する様になりました。「福祉」と言う言葉があちこちで使われ、専門職の需要も増え、社会福祉士、介護福祉士、精神保健福祉士等の国家資格もでき、福祉系大学や専門学校もびっくりするほど増えました。
新法により今までの常識が変わり、今までなかったことが新規事業として始まり、それらを当たり前のように定着させていく大変さは、テキストの一文だけでは伝わる物ではありません。昔話は流行りませんが、事実は小説よりも奇なりです。私が体験した「平成の福祉の現場」を機会があれば小出しにアップしたいと思います。
今回はその序章と言うことで、続きはまた次回に…。