織姫と彦星
2020.06.29
7月7日・・・・
天の神様は、娘「織姫」が毎日、身なりに気を遣わずに美しいはたを
織っているのを不憫に思い、牛の世話に真面目に励む若者「彦星」を
娘の結婚相手に決めました。
二人は仲睦まじく暮らしていましたが、暫くすると
遊びほうけて全く仕事をしなくなってしまいました。
それに怒った天の神様は、二人を天の川で隔てて引き離しましたが
二人は悲しみにくれてしまい、全く生気が無くなってしまいました。
そこで天の神様は、二人が真面目に仕事に努めるならばと
「7月7日」だけは会うことを許しました。
「七夕」の夜の天の川を見上げると、織姫と彦星が仲睦まじく輝いているかも
しれませんね。
あまりにも仕事を真面目過ぎても、怠惰過ぎても・・・。
ほころびがきてしまうのかもしれませんね。
時には良い加減の「てげてげ」が良いのかも・・・。
今月も患者さんと「七夕のちぎり絵」の楽しい時間を作る事が出来ました。
1病棟 ブログ委員会
PSW平成見聞録~第1章~
2020.06.29
西諸地域精神保健福祉協議会だより「ときめき」で、“今年の「こすもす祭」は「第20回全国障害者芸術・文化祭みやざき大会」との合同開催として開催され、精神障がい者だけでなく、知的・身体障がい者の方々も一緒に参加できる内容を企画します”、との記事が載っていました。(残念ながら新型コロナウイルスの影響で延期になりましたが…)
「そんな時代になったか…」と感慨深く、“ときめいた”ので、今回は「こすもす祭」開催に至るまでの思い出を書きたいと思います。
昭和63年7月より精神障がい者の「人権擁護」と「社会復帰」の2本柱を掲げた「精神保健福祉法」が施行され、長期入院者の社会復帰促進が動き出しました…が、現実はそんなに簡単なものではありませんでした。一番の壁は根強く残る精神障がい者に対する「社会的偏見」であり、もう一つは社会資源の圧倒的な不足でした。
当時は、精神障がい者は「医療」の対象者であり、「福祉」の対象ではありませんでした。
そのため、精神障がい者が病院を退院した後に使える福祉サービスはほとんどなく、「精神保健福祉法」の中で初めて「社会復帰施設」が制定されましたが、それらの設立も病院の自助努力であり、また新たに建てようとしても精神障がい者に対する偏見から、地域によっては建設を反対されたり等もあり、なかなか数は増えず地域格差が著明でした。
そのような状況のもと、「社会復帰促進」の担い手として期待された職種が、PSW(精神科ソーシャルワーカー)です。
当時は、医療ソーシャルワーカーを専任で雇用している病院は少なかったのですが、精神科病院は法改正を機にほとんどの病院に専従で配属されるようになりました。それでも1病院に1~2名という状況でした。
病院内で「ソーシャルワーカー」としての業務も確立されておらず、それぞれが手探りで業務を行っていました。変わりゆく社会情勢下で、目まぐるしく制度が代わるのに、今のようにインターネットもなく、専門書を取り扱っている書店もなく、情報を収集するのが難しい時代でした。そのような中、自分だけで多種多様な問題を抱える処遇困難事例に対応するのは至難の業でした。
同じように悩みを持つソーシャルワーカーは多く、昭和39年4月に発足した「宮崎県医療社会事業協会」(現:宮崎県医療ソーシャルワーカー協会)に属し、そこでの勉強会や情報・意見交換、先輩ソーシャルワーカーからの助言や指導、同職種間の絆が唯一の拠り所になっていました。
私が就職した頃は、協会員は約45名位だったと思いますが、医療・保健・福祉に属する県内各地の協会員すべてと顔の見える関係づくりができていました。なので職場に自分しかソーシャルワーカーがいなくても、困ったときに相談、支援、連携がなされ、一人で問題を抱えることなく、研鑽を重ねることができていました。今でこそ「多職種連携」「顔の見える関係づくり」の必要性がうたわれていますが、我々ソーシャルワーカーの先輩方は、すでにこの時点でそのノウハウを構築しており、それを引き継いだ私たちも「連携づくり」を得意とする職種であると自負しています。
そのような状況の中、宮崎市内の精神科病院の大先輩(師匠)の下で修業を積み、平成3年に郷里である小林の精神科病院へ転職したのですが、当時の西諸の地域性は、精神障がい者への偏見も強く、まだまだ閉鎖的でした。
ただ法改正とともに病院の開放化が進み、長期入院患者さんが外へ出る機会は増えてきつつありました。それでも、まだまだ病院中心の生活が続いている状態で、病院間や関係機関との交流もほとんどない状態でした。しかし、先程書いたようにソーシャルワーカー間の交流は行っていました。
私が就職した病院は初のPSW雇用であったため院内に相談できる人もなく、困ったことがあった時は、西諸第1号PSWであるK師匠(当院初代PSW)の下に相談に通いました。そこへ3代目PSWが加わり、顔を合わせると「西諸をどげんかせんといかん」という話題になっていきました。
・・・それが、「こすもす祭」の前身となる「第1回 小林保健所管内精神障害者スポーツ交流会」開催へつながっていくのですが…、長くなったので、続きは次回へ(^o^)/
つばめ
2020.06.25
蒸し暑い日が続きますが、皆さん体調は崩していないでしょうか?
今回は病院とは関係のない話なのですが、最近私の自宅のデッキに出来た燕の巣を紹介したいと思います。
今月の中頃から家の周りを飛び回っている燕をよく見かけたのですが、あれよあれよという間に巣が完成していました。
今はまだヒナの姿は確認できませんが親鳥が巣の中でじっとしている姿を見ると、今は卵を温めているのかなと思います。
初めての燕の巣なので、無事に巣立ってもらえるよう静かに見守っていきたいと思います。
また機会があれば経過を報告していきたいと思います。
ちなみに燕の事を少し調べてみました。
渡り鳥として有名ですが越冬する際は台湾を経由して、フィリピン・マレーシアまで飛んでいくとの事。
また雷や家事を防ぐ生き物として信じられ、子供を産み育てるおめでたいしるしの鳥として愛されているようです。
ART 3
2020.06.12
今回は、「子供のいたずら書き」の様に描く「孤高の詩人」
サイ・トゥオンブリーを紹介させていただきます。
1928年 アメリカ・ヴァージニア州生まれ、
1950年代ロバート・ラウシェンバーグ等と共に活動を始め、
アメリカの抽象表現主義の第二世代と注目されたが、次第に独自の道を歩みます。
一見すれば、ただ乱雑に即興的に投げ込まれたかに見える絵の具の散乱、
ギリシャ・ローマ神話などの言葉の断片、落書き風の筆の走りなどが
互いに触発し合い、または、否定し合いながら様々なイメージを惹起。
その画風は「描画された詩」と大絶賛。
「落書きのようだけれど、ART・・・」
楽しい世界へ、皆さんもどうぞ。
1病棟 ブログ委員会
☆梅雨&てるてる坊主の話☆
2020.06.15
作業療法課 part5
近頃は蒸し暑い日や雨の日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。
6月といえば「梅雨」。宮崎県も平年より1日早い5月30日に梅雨入りしました。
今回は、「梅雨」の由来と「てるてる坊主」について紹介したいと思います。
--------------------------------------
「梅雨」の語源は中国にあり、中国から「梅雨(ばいう)」という読み方で日本に伝わったそうです。
確かに天気予報等で「梅雨前線(ばいうぜんせん)」とよく聞きますね。中国にも「梅雨」があるということですね。そして、江戸時代に入るころになると「梅雨(つゆ)」という読み方になったそうです。
では、「梅の雨」と書いて、なぜ、「梅雨(ばいう)」と読むのか・・・。
その語源についてはいくつかの説があり、最も有力な説は、この6月~7月の時期に「梅の実が熟す時期」にあることから、それにちなんでこの名前が付けられたという説です。
病院内の梅も熟れており、先日デイケアの皆さんで梅干し作りやシロップ漬けを作っていました。
--------------------------------------
もう一つ。
みなさんは、♪あ~した天気にしておくれ~♪でお馴染みの「てるてる坊主」を作ったことがありますか?「てるてる坊主」は、「坊主」というのだから男の子かなと思っていたのですが、調べてみると女の子だそうです。
そもそも「てるてる坊主」は、中国の掃晴娘(そうせいじょう)と呼ばれる人形をした切り紙を門に貼って晴れを祈る風習から来たとされています。
その理由としてこんな話があります。
昔、中国の北京には『晴娘』と呼ばれる賢くて美しい娘がおり、ある年の6月に大雨が降り続いて人々が困っていた時に「大雨が止みますように」と晴娘は天に祈りました。
そしたら、天から「東海龍王の太子の妃になれ、でなければ北京を水没させる」という声が聞こえ、晴娘はその声に従って天へと昇って行ったのでした。
すると、空は雨雲を箒(ほうき)で掃いたように晴れていきました。
それ以来、切り紙の得意だった彼女を偲んで、雨の日が続くと紙で『掃晴娘』を作って吊るすようになったのそうです。
その切り紙がこれ↓です。「てるてる坊主」の元祖でもある『掃晴娘』も何だか可愛いですね。
次回は7月にブログ更新します!お楽しみに~(^^)/
クールシートで夏を乗り切ろう
2020.06.08
九州南部も梅雨に突入し、雨の多い季節になってまいりましたが皆さんお元気でお過ごしでしょうか。
今回は夏に最適なカー用品のご紹介です。
これからの熱い時期は買い物など、少し動いただけでも汗だくになりますよね。
車の移動時にそんな状態で座席に座ると、例えエアコンをかけたとしても背中やお尻あたりは汗で気持ち悪い状態のままです。
今回ご紹介するアイテムは、座っているだけでとても涼しく爽やかに過ごせるものです。
その名もズバリ、クールシートです。
取り付けは簡単です。
車のシートの上に載せて、シートの後ろ側で付属の固定バンドを引っ掛けて固定します。
固定出来たらあとはシーガソケットに電源を差し込んでスイッチオンです。
すると座席の下側に位置するファンが空気を取り込み、クールシート全体から空気が吹き出します。
エアコンを併用すれば下に沈んでいる冷たい空気が取り込まれるためさらに涼しく感じることでしょう。
暑い夏の運転はクールシートで快適に過ごせること間違いなしです。
是非お試しください。
それではまた。
4病棟ブログ委員
訪問看護日記
2020.06.02
みなさん、こんにちは!精神科訪問看護です(*^^)v
今年は新型コロナウィルスの影響で今までとは違った生活になっていると思います。
手洗いうがい、マスクなどの感染症対策、外出自粛、3密を避ける…
いつまでこの状況が続くのかなと少し気が重いですね…(-_-;)
でも、ふと外に目をやると3月には桜が咲き、4月には新芽が芽吹き、5月には家々に鯉のぼりが泳いで、そこにはいつもと変わらない景色があります。
ステイホームでお家時間が増えたことで、当たり前の外の景色がとても尊く感じることがあります。
今日は、そんな当たり前だけど「素敵だな」と感じたものを皆様にもご紹介します。
これは道路わきに咲いていた花々やつくしです(^^)/
えびの市の川沿いの道には鯉のぼりが気持ち良さそうに泳いでいました(^^)/
これは明治時代に植えられた樹齢100年以上の「春もみじ」です(^^)/
緊急事態宣言が解除されましたが、まだまだ油断できない状況に変わりありません。
自分にできる予防を行い、
みんなで一緒に乗り越えましょう(^o^)/!!
フレブルチョビのちょびっと話30
2020.06.02
山々の緑も、雨に打たれて色濃くなりました。
6月は松原さんです。
早速ですが
①犬🐕派?猫🐈派?その他?
猫派です。
②家では何か動物を飼っていますか?
猫2匹、ウーパールーパー、金魚、メダカ、カブト虫(卵かな?)
飼っています。
③内村病院の勤務歴はどれくらいですか?
9年です。前任者から紹介されました。
大きな病床で働く機会を頂き、感謝しています。
④主な仕事内容は?
管理栄養士
⑤内村病院のココが面白い!何か印象的な事はありますか?
カブト虫がやってくる~!!
夏になると病院の敷地内にカブト虫を見かけるのです!
かわいらしくて見つけては自宅に持って帰ります。出勤時
カブト虫いないかなぁ~とちょっとした楽しみになっています。
⑥趣味や特技はありますか?また最近はまっている事ありますか?
最近はまっているのは、ミニバレーです。ルールも知らずに始めま
したがとっても楽しいです。仲間は60代~70代で笑いがたえず
元気をもらっています。
松原さん ありがとうございました(●^o^●)