地域に信頼され、愛される病院をめざして奉仕の精神でつとめます。

医療法人 浩然会 内村病院-精神科・心療内科

求人情報

TEL.0984-23-2575

FAX:0984-22-6442
外来受付 月~金 8:05〜11:30・土 8:35~11:30
(土曜は再診のみ、日・祝祭日は休診)

フレブルトリオブログ

最近のブログ

過去のブログ

スタッフブログ

PSW平成見聞録 ~第2章「西諸管内スポーツ交流会開催」~

2021.09.21

新型コロナウイルス感染症が蔓延し、前代未聞の緊急事態宣言下での「東京パラリンピック」が令和3年9月6日に閉幕を迎えました。

 

今回の大会では、「共生社会」の意義を発信し、パーソンズ会長は閉会宣言で「インクルーシブな(分け隔てない)未来への幕開けだ」と締めくくりました。

大きなハンディをもちながらも日本の代表として競技に挑み、誇らしげに表彰台に上がる姿より、改めて「目標」を持つことの重要性を感じました。

※「共生社会」とは、これまで必ずしも十分に社会参加できるような環境になかった障害者等が、積極的に参加・貢献していくことができる社会のこと。

 

 

・・・さて、前置きが長くなりましたが、前回(令和2年6月29日)の続きです。

 

平成5年「障害者基本法」が成立し、そこで精神障害者がやっと「福祉」の対象として位置づけられました。それを踏まえて、精神保健法は、平成7年に「精神保健福祉法」に改正され、抗精神病薬の発展も追い風となり「入院医療中心から地域生活中心へ」、つまり、入院しなくても住み慣れた地域で福祉サービスを受けながら通院治療を継続する、といった大きな変換期を迎えました。

この波に乗って「西諸もどげんかせんといかん!」と息巻いてみたものの、前回も書いた通り、現実はそんなに簡単にはいきませんでした。

 

 

この当時の入院患者は「統合失調症」が大半を占め、陽性症状(幻覚妄想に支配された言動や興奮して暴れたり等)を発症し、家族や近隣住民に迷惑をかけ、やっとの思いで入院させた…という方々が大半でした。そのため、入院治療を行って症状が改善されても、発症当時のイメージが強く、なかなか退院後の受け入れ先がなく、そのまま何年、何十年も入院継続を余儀なくされ、いわゆる「社会的入院」と呼ばれる方々が多くいました。

 

 

「福祉」の対象にはなったものの、他の障害と異なり障害が目に見えないことで周囲の理解を得難かったり、継続した治療が必要であるため、依然として「医療」の対象とみられ、まだまだ他障害同等に福祉サービスが利用できるまでにはありませんでした。

当時、自宅への退院が難しい人に対し、単身アパート生活支援が行われるようになりましたが、西諸地域ではまだまだ偏見が強く、アパートや借家を貸してもらえなかったり、理解を示し協力をしてくださる不動産もありましたが、「保証人」という壁があり、なかなか実現はできませんでした。

 

長期入院者の退院の障壁となったのは、社会的偏見だけではなく「患者さん自身」にもありました。

何十年も病院という小さな社会で暮らすうちに、「ここ(病院)がいい」と退院への関心や意欲が見られなくなっていました。

なかなか退院できないことでの飽きらめや、10年以上も入院していると、家庭内や社会も様変わりし、そこに帰っていく不安が大きかったのだと思います。

入院生活は閉鎖的で単調でしたが、衣食住医は保証され、周囲の偏見の目から守ってくれる安心感もあり、患者さんにとっては病院が家であり家族になっていたのだと思います。

それを国の方針として無理して退院させる必要があるのか?とも思いましたが、入院生活しか選択肢を知らない者が、病院がいいと選んだことを自己決定として受け取っていいのか?という疑問を常に感じていました。

 

こで、何か外に目を向ける「きっかけ」になるものはないかと考え、手始めに県主催の「障害者スポーツ大会」への参加を考えました。当時、院内の余暇活動としてミニバレーやゲートボールが行われていました。院内だといつも同じメンバーで刺激も少ないため、スポーツを通して外部者と触れ、刺激になれば…と思ったのですが、入院患者は対象外(医療)とのことでエントリーできませんでした。

 

上記のような憤りを、同世代の保健所のS保健師さんや、U病院のPSW:Oさんと顔を合わるたびに愚痴り、「こうなったら、ここ(西諸管内)でやろう!」ということになり、平成8年11月14日第一回西諸管内スポーツ交流会として、緑が丘公園でグランドゴルフとミニバレーの大会を開催しました。

 

 

西諸管内の2病院、病院デイケア、保健所・市町村デイケアのチームが参加し、白熱した試合が繰り広げられました。院内でのレクリェーションとは違い、それぞれの所属の命運をかけ、試合する方も応援する方も熱が入り、白熱した試合が繰り広げられました。点が入るごとに歓喜の声や落胆の声があがり、その一体感たるや高校野球かオリンピックの様でした(ちょっと大げさですが(;^_^)。もうどこのチームが勝ったかは覚えていませんが、皆一様に「たのしかった!また開催してほしい」との声が上がり、それをきっかけに年に2回のスポーツ交流会が定例化されました。それからというもの、日頃のミニバレーやグランドゴルフも、「次の試合に勝つぞ」と、目標ができることで活気づいたことは言うまでもありません。

やはり、「目標」を持つことが、日常のスパイスになるのだということを実感した瞬間でした。

 

それから、スポーツ交流会だけでなく、文化交流会(こすもす祭)につながっていくのですが、長くなりましたので、続きは次回へ。

次回のキーワードは「緑色のお茶」です。